サステナブルな社会とよく言われていますが、江戸時代のほうがサスティナブルだったような気も・・・
江戸時代の生活は、現代と比べてずっと「サステナブル」だったとも言えるのではないでしょうか?
紙、布、金属などは徹底的に再利用されていましたし、壊れたものは修理して使い続けるのが当たり前でした。また、輸送手段が限られていたため、近くで取れたものを消費していました。
さらに、夜は早く寝る、農業中心の生活など人々の生活のリズムが自然に合わせられていました。これは、照明にお金がかかったということもありますが、かなりエコであることには違いありません。また、現代のように大量のプラスチックゴミや食品ロスはほとんどありませんでした。
さて、現代に目を向けてみると、現代の「サステナブル」という言葉は、ビジネスのキャッチコピーとして使われることも多いのではないでしょうか?
なせならグリーンウォッシング(Greenwashing)がはびこっています。実際は環境負荷が高いにもかかわらず、「エコ」や「サステナブル」と謳って商品を売る手法です。「自然派」「エコフレンドリー」「地球に優しい」など、具体的な根拠のない言葉でごまかされていませんか?さらに、パッケージはリサイクル可能でも、中身の製造工程が環境に大きな負荷をかけているなっていう詐欺みたいなことも平然と存在しています。またこういった例もあります、石油会社や電力会社が植林活動をアピールするが、全体の環境負荷から見たら微々たるもの、「本業でどれだけ環境に悪影響を与えているか」には触れず、イメージ戦略に偏っているケースです。

そもそも、本来の「持続可能性」は「なるべく買わずに済ませる」方向性のはずが、「サステナブルな商品をどんどん買おう」といった矛盾したマーケティングといえるのではないでしょうか?大量消費が前提なわけですから、SDGsなんて言わないほうがすがすがしいです。
一方で、サステナブルな商品は高価なことが多く、「意識高い系」マーケットになりがちで、エリート主義・高価格化をあおっている面もあるかと思います。わざと、庶民の手に届きにくいというところに付加価値をつけています。あざといですね~。
さて、では我々はどうすればいいのでしょうか?エコにはそれなりにお金がかかりますし、信頼できる認証もあるにはありますが、数が多すぎで一市民がすべてを把握することはできません。
そこで、管理人からの提案です。とりあえず、なんだか妖しいなと思ったら、「商品名+グリーンウォッシング」でググると、よく批判されてる企業はすぐ出てきますので、日頃から疑うことが大切です。特に、大量消費を促すような商品がSDGsをうたっていたらかなり妖しいと思ってください。
