「テレビを疑う視点」を持つって大切ではと思いますが・・・

別にTVがすべて悪いと主張しているのではありません。TVや新聞など、のコンテンツ、主張がすべて正しいとは限らないということが大切だと思っています。

TV新聞が言っているからてというのは、思考停止に限りなく近い状態ととらえるべきだと思います。特に、毎日のように流れてくるニュースやコメントをずっと見てると、知らず知らずのうちに「なんとなくそう思うようになっていた」ってこともあるのではないでしょうか?

管理人としては、こう思います。

「それって本当?」テレビで何か断言されたら、まず心の中でこう問いかけてみてください。「これは事実? それとも意見?」、「この話、裏付けあるの?」、「もし逆の立場だったら、どう見える?」ちょっと疑ってみるだけで、自分の思考が再起動します。何でもかんでも否定する必要はありませんが、すべて肯定するのも危険です。

たとえばニュース番組を見ながら、「今、私このコメンテーターの口調に乗せられてるかも」、「あれ、この報道、なんか急に感情的じゃない?」

というように、自分と情報との距離感を保つのがポイントです。これは「メタ認知」と呼ばれていて、思考停止を防ぐ強力なスキルなんです。

とくに「感情が動いたときほど要注意」だと思います。怒り・恐怖・共感・不安が強く出てきたら…「いま、感情で操作されてない?」、「これは視聴率や拡散狙いの“盛り”じゃない?」と、一呼吸おくクセをつけるだけで、冷静さが戻ってきます。

TVの目的はいろいろありますが、視聴率を取る、多くの人見見てもらうことが重要なことなんです。特に民放ではスポンサーがいるので、視聴率といったメルクマールは重要視されます。そのためには、如何にセンセーショナルにインパクトがある内容にしないと視聴者がつかないと思っているようです。つまり、制作する側が私たちを何も考えないアホだと思っているのです。そんな番組は見るのはやめましょう。

別の観点で考えますと、TVの話を鵜呑みにする →空気が生まれる → 同調圧力になる構図って怖いと思いませんか。
テレビが「こうあるべき」と繰り返す。たとえば、「マスクは絶対」とか、「この発言は不適切」、「あの行動は迷惑」など、一定の価値観を強調すると
視聴者がそれを“常識”として受け入れる。「みんなそう思ってるよね」「ニュースでも言ってたし」=思考を止めた“空気”の完成、そこに逆らうと、“変な人”、“非常識”とされる。実際には賛否があるはずの問題でも、異なる意見が表に出づらくなる。
つまり、テレビが流す“常識”が社会の“空気”をつくり、それが「みんなと同じであることを強要する力=同調圧力」につながっていくとおもいます。怖くありませんか?

KYって言葉が一時はやりましたが、KY大いに結構。たとえば、選挙の投票率が低い→「投票に行かない若者が悪い」→ その背景にある不信感や制度の問題には触れられない → 若者が黙る。そうだよねっといって空気を読むのもいいですが、本当にこれでいいのでしょうか?あえてKY、いやいあや若者が悪いと言い切るのはおかしいと、いって問題提起するのが大事なのかなと思っています。

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